鶴屋本舗|北九州を代表する八幡の名菓「八幡饅頭」 八幡饅頭の歴史 – 鶴屋本舗|北九州を代表する八幡の名菓「八幡饅頭」

八幡饅頭の歴史

八幡饅頭の軌跡

八幡饅頭の歴史は
昭和五年に始まりました。

八幡饅頭の歴史は、昭和五年に始まりました。
「鶴屋」初代の原田三郎は、徴兵で小倉の部隊に入隊した際、多くの労働者でにぎわっているのを見て、官営八幡製鉄所の南門のそばに店を構えることを決めました。重労働の製鉄マンに甘い物は大変喜ばれました。
ところが、太平洋戦争末期の八幡大空襲で「鶴屋」も被災し、店が焼けてしまいました。
その後、昭和二十五年に現在地で再開。「八幡」の焼き印のあるお饅頭はお土産としても浸透し、平成五年ごろまでは一日一万個売り上げました。最盛期には、北九州市内約十店舗に拡大。
しかし、製鉄所の縮小や和菓子離れ、原材料費の高騰など逆風が強くなり、惜しまれつつも平成二十六年二月二十八日、八十四年の歴史に幕を下ろしました。

鶴屋本舗「八幡饅頭」

研究に研究を重ね

長年の経験で培われた
技術

八幡饅頭はカステラ生地で白あんを包んだ素朴なお菓子ですが、生地の焼き方、あんの練り方、包装紙など、理想を追求すれば切りがありません。
「鶴屋」二代目の原田隆好は、父や弟・昭とともに研究を重ねました。
終戦前後には、食糧統制で砂糖が入手できず、人工甘味料を避けるために休業したこともあります。
昭和三十年代になると、洋菓子が普及し始め、八幡饅頭にも隠し味にバターを使ったことがあります。しかし、なじみのお客様に「これはいつもの饅頭じゃない」とご指摘を受け、一週間でやめることになりました。
以来、饅頭の味は守りつつ、新商品の開発にも取り組みました。原田昭が作るシュークリームは一番人気になりました。

鶴屋本舗「八幡饅頭」

本物にこだわり復活

作るなら昔と同じ味の
本物を作りたいと決意

閉店後、その歴史を聞いた瀧口智之(現社長)は奥深さに感動。「八幡饅頭を復活させたい」と提案しました。
折尾で生まれた瀧口は、来客からもらったり、親戚の家に持って行ったりした「ちょっといいお菓子」の八幡饅頭に思い出が詰まっています。
作るなら、昔と同じ味の「本物の八幡饅頭」を作りたいと決意し、二年前から元社長たちを説得。当時の職人たちを訪ね、三十年以上饅頭を作った職人が戻ってきたことで、復活が実現しました。

鶴屋本舗「八幡饅頭」

未来の八幡饅頭

鶴屋本店は、カフェ鶴屋珈琲として生まれ変わりました。

「鶴屋」本店は、カフェ「鶴屋珈琲」として生まれ変わりました。焼きたての八幡饅頭と自家焙煎のおいしいコーヒーを店内でお楽しみいただけます。シュークリームも復活しました。
歴史を見続けてきた店舗屋上の鉄塔は、化粧直しを済ませ、新たな店を見守ってくれています。販売再開後、多くのお客様から「懐かしい」「おいしい」と声を掛けていただいています。
八幡饅頭の復活をきっかけに、地域が元気になることが私たちにとって一番の喜びです。これからもまた、どうぞよろしくお願い致します。

鶴屋本舗「八幡饅頭」

鶴屋初代
原田三郎について

饅頭が飛ぶように売れるのを目の当たりにした

現在の佐賀市久保田町出身で、実家は寛永七年(1630年)創業の老舗菓子店。飯塚市で千鳥饅頭の千鳥屋を創業した原田政雄さんの弟。炭鉱景気に沸く飯塚に兄とともに進出し、饅頭が飛ぶように売れるのを目の当たりにしたそうです。